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手塚の一行レビュー

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11/ 1-11/30「野鴨」(タニノクロウ演出)@THEATRE1010ミニシ…

-感想- 11/30 再見。本物の木のセットをあくまで人工森林とみなしても、自然と断絶した人間という存在が思われて面白い。 (手塚)

(2007.12.1追記)
保村大和の役が劇中で犬に例えられてるのを観て、なにか記憶に引っかかってたんですが、そういえば惑星ピスタチオ時代に「小林少年とピストル」で犬の役(スピード丸)やってましたね。
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by masarutetsuka | 2007-11-30 02:05 | 演劇

11/ 1-11/30「野鴨」(タニノクロウ演出)@THEATRE1010ミニシ…

★★★★ 11/23 親子の葛藤が華麗なる一族みたい。石田えり演じる妻の女性像に惹かれる。それにしてもイプセンて面白い。 (手塚)

(2007.11.27付記) ノーベル賞作家 トーマス・マンは、この作品の大商人ヴェルレの役を演じたことがあるそうです。
http://www.osaka-ue.ac.jp/gakkai/pdf/ronshu/2003/5406_trans_mutuura.pdf

それから、これも全然関係ないけど、IBM の社訓に「野鴨」というのがあるらしい。
https://www.lmj-japan.co.jp/order/mailback/back011.htm
もともとはデンマークの哲学者キルケゴールの話から来ているらしいが、真実は不明。
この話は、IBMの2代目社長Thomas J. Watson Jr.がその著「企業よ信念を持て-IBM発展の鍵」(A Business And Its Beliefs - The ideas that helped build IBM)の中に引用している話である。良くご存知の方も有ろうかと思うが、原著から引用しておく。
IBMで我々はしばしば、我々の行動を“野鴨”にたとえて話をする。
この教訓はデンマークの哲学者ゾレン・キェルケゴールの話からきている。キェルケゴールは、毎年秋大きな集団をつくって南方に飛び去る野鴨を観察したジーランド海岸に住む人の話を書いている。この人は慈悲深い人で、近くの沼に野鴨のためにエサを与えに行った。しばらくすると、鴨のうち幾羽かは南方へ飛び去ろうとしなくなった。この人の与えるエサを頼りにして、デンマークで越冬するようになったからである。
だんだんこの鴨たちは飛ぶことが少なくなってきた。野鴨が帰って来るとき、この鴨たちはこれを迎えるために空を旋回するのだが、すぐに沼のエサ場に舞い戻るようになった。三、四年の後には、この鴨たちはすっかりだらしなくなり、飛ぶことさえ難しいほど太ってしまった。
キェルケゴールは言う -野鴨を馴らすことはできよう。しかし、馴らした鴨を野生に返すことはできないと。もう一つ、馴らされた鴨はもはやどこへも飛んで行くことはできない、とも言えよう。ビジネスには野鴨が必要なのである。そしてIBMでは、その野鴨を馴らそうとは決してしない。

(2007.11.27付記2)
下記のあらすじを読んで、あの舞台装置は屋外ではなく屋内の人工森林だったのかと、今更、思った。
Weblio 映画情報「野鴨」
http://www.weblio.jp/content/%E9%87%8E%E9%B4%A8
原題: Wildente Das Haus der Luge
製作国: ドイツ
製作年: 1925
配給: 田口商店
ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください
野鴨はエクダル一家の運命の象徴となっているばかりでなく、全篇の悲喜劇の根本動機を形づくっている。野鴨は大商人のウェルレに捕えられ、彼からヘドウィックという少女に与えられた。少女は野鴨を命に代えても愛す様になり、己が家の屋根裏の物置に人工的な小森林を作ってそれを飼う事となった。やがて野鴨は次第にその境遇に馴れ家畜らしくなって、何時か外の自由な空気を忘れる様になった。...

(2007.11.27付記3)
「野鴨」のたとえの出発点となった詩があるらしいです。
http://www.norway.or.jp/ibsen/plays/duck/facts.htm
『野がもの暗喩』については、ヴェルハーベン(Wellhaben)の詩「海鳥」(「The Sea Bird」)が参考になります。この詩が、『野がも』の構想の重要な出発点になっています。

(2007.11.30修正)
詩の作者の名前のつづりは、上記の元記事と思われる英語のページの方の名前 Welhaben が正しかったようです。
http://www2.norway.or.jp/ibsen/plays/duck/facts.htm
"The metaphor of the wild duck" must refer go Welhaven's poem "The Sea Bird"; an important source of inspiration for the play.

(2007.11.30付記)
イプセンの作品の中に、進化論のダーウィンの著作の影響をみる研究もあるみたいです。
ASBJØRN AARSETH: "Ibsen and Darwin:A Reading of The Wild Duck"
http://muse.jhu.edu/demo/modern_drama/v048/48.1aarseth.pdf
それによると、ダーウィンの著作の中に、野鴨の家畜化について論じているものもあるそうです。
"Variation of Animals and Plants under Domestication" の Ch. 8 です。
http://www.esp.org/books/darwin/variation/facsimile/title3.html
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by masarutetsuka | 2007-11-23 20:08 | 演劇

11/18-11/18「マコンド」(プルミエ・アクト)@学習院女子大学・やわらぎホール

★★   11/19 「美しい水死人」がとても短い話だけど更に好きになった。「エレンディラ」を最後の一言に集約させたのは不思議。 (手塚)

(2007.11.20追記)
マルケスの 「美しい水死人」について、こういう読み方もあるのかと思ったので引用します。
現代企画室編集長・太田昌国の発言のページ
コロンビアの作家、ガブリエル・ガルシア=マルケスに『この世でいちばん美しい水死人』という掌編がある(『美しい水死人』に所収、木村栄一訳、福武文庫、一九九五年)。カリブ海に面するとある漁村の浜辺に巨大な物体が打ち上げられているのを子どもたちが見つける。絡みついた藻やゴミを取り除くと、村人、とりわけ女たちが息をのむほどに美しい男だとわかる。人びとは何くれとなく世話を焼き、遺体を美しく飾りたてて海へと戻す……。

 いつの時代、世界のどの地域にも共通するお伽話として読むことは、もちろん可能だ。だがこれが一九六八年に書かれた作品であることを知ると、私(たち)は、ボリビアの小さな村の学校の一角のベッドに射殺されて横たわるゲバラの姿を、マルケスが描いた水死人に重ね合わせて読み込んでしまう。水死人の細部の描写は、まるで私たちが写真で知っているゲバラ最後の姿を描いているかのごとくなのだ。

これは、この作品の読み方のひとつであるにすぎないとは思いつつも、私の場合、それ以外に読みようがない。あの時代、人びとはこうして、その生き方と思想において隔絶した位置にいると見えた人に対する追悼の気持ちを表わしたのだ。

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by masarutetsuka | 2007-11-19 13:23 | 演劇

10/17-11/ 4「たとえば野に咲く花のように」(鈴木裕美演出)@新国立劇場中劇場

★★★  11/04 下敷きの「アンドロマケ」って、語感がヨイトマケみたい。 (手塚)
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by masarutetsuka | 2007-11-04 01:06 | 演劇